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安祥院 (徳川家重側室) : ウィキペディア日本語版 | 安祥院 (徳川家重側室)[あんしょういん] 安祥院(あんしょういん、享保6年(1721年) - 寛政元年4月6日(1789年4月30日))は、江戸幕府の9代将軍・徳川家重の側室。実父は三浦義周、養父は松平親春。通称にお遊の方(おゆうのかた)、お千瀬の方(おせちのかた)。俗名はゆき(遊喜)、いつ(逸)とも。 == 生涯 == 元文元年(1736年)に西御丸に出仕し、後に家重の側室となる。延享2年(1745年)に家重の次男・万次郎(後の徳川重好)を産む。竹千代(後の徳川家治)を産んだ至心院との間で確執があったといわれる。 宝暦11年(1761年)、家重死去により落飾。寛政元年(1789年)4月6日、69歳で死去。墓所は上野の普門院。戒名は安祥院受徳光潤大姉。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安祥院 (徳川家重側室)」の詳細全文を読む
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